美大卒業後、フリーランスデザイナーになったヤツの最初の1年

フリーの立場になると共通してよく聞かれることがあります。

「どうやってフリーになったんですか?」とか
「仕事はどうやって取ったんですか?」とか、
「フリーになるには何をしたら良いのか?」とか、etc…

あげればキリがないですが、これ系は本当に色々と根掘り葉掘り聞き出されそうになります。

 

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開業届を出したのは大学4年生になってすぐ

別に隠すつもりのないので、この記事では全てをありのままに書いていきますが、まず最初の「どうやってフリーになったんですか?」に答えるなら、書類上でフリーランスになるのは簡単です。

 

税務署に開業届なるものを出せば良い。所要時間3分。

受付の人はびっくりするほどあっさりしてます。

「開業届ですねー、はい、受け取りましたー、もうだいじょうぶですよ〜」

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別に何も恐れることはありません。笑

向こうにとってはただの手続き。

こちらがどんな仕事をするのかとか、そんなことは興味もたれないのです。

開業届とは

それだけ簡単な手続きだけに、ここでちょっと「開業届」についてお伝えすることが1つ。

「開業届」と聞くとちょっと夢がある感じがしませんか?

少なくとも、僕はそんな風に思ってました。

 

ですが、上述の通り、開業届は所詮、税務署に「私は仕事をするので、その分税金を納めます」って宣言しているだけで、別に開業届を出したから仕事が来るわけではありません。

 

いや、まぁ当然のことなんですが。笑

なにせ学生の頃の僕は“開業届を出すと、なんか世間に認められて、仕事とか来るんだろうなー“とか漠然と思っていたので、同じように淡い期待を抱いている人がもしいたらと思い書いてみました。

 

仕事っぽいものには学生時代から飛びついた

「『どうやってフリーになったんですか?』は、そういうことを聞いてるんじゃない!」

という声が聞こえた気がしたので、次に「仕事」について書いてみます。

 

無論、開業届を出したということは、当時から仕事っぽいことををすでにしていました。

正確には大学2年ごろからですね。千葉大学にいた頃から。

といっても「仕事」なんて呼べるものではなく、側から見ればボランティア、雑用、タダ働き、お手伝い、そんな感じだったと思います。

これも夢見る人に釘を刺しちゃいますが、僕に「どうやって仕事取ったんですか?」と聞けば十中八九、「最初は雑用から」と答えます。

 

もちろん、別にこれが正解ではないです。

最初からもっと良い仕事をもらって、うまくやっているフリーランスの方は大勢いらっしゃると思います。

 

ですが僕は不器用というか、ビジネスが下手だったので、大学2年生から4年生まで、声が掛かったものはジャンル問わず、報酬問わず、全部1人で、弾丸で大人たちに混じりあって、昨今は敬遠されがちな飲み会にガンガン行って、仕事をしてました。

 

まぁ本音を白状すると、それを理由に「バイトをしなくても良い」という免罪符が欲しかったんです。

自分の仕事は出来るけど、組織の仕事は本当に出来ないもので。

なので僕は学生時代にバイトをしたことがありません。

誇ることではないし、実際、今の僕はアルバイト推奨派です。

 

しかし、当時の仕事はほとんどがタダ働き or 交通費だけ or 薄謝です。

※交通費が出て当然とか思わない。

 

なぜタダ働き同然の仕事をするか

でも僕はそれをやった。なぜか。

分かりやすく言うなら、目の前の小額の謝礼を取るか、将来もっと大きな仕事に繋げるか、という選択で、後者を選んだだけです。

 

仕事を報酬だけで判断するのは、↑の理由に限らず、いかなる理由でも軽率だと僕は思います。

その仕事が将来どういう影響を自分に及ぼすか。

その仕事を見た人が、別な仕事をくれるかも知れない、
ポートフォリオが増えることで、アピールがしやすくなるかも知れない、
もしそれが超絶ヒットしたら、「アレをデザインした人」としてバズるかも知れない。

これらは要するに、長期的な目線です。

長期的な目線って、単純に「デザイン」にとっても重要な能力ですよね。

 

独立して成功する人と失敗する人がはっきり分かれますが、その人が長期的目線を持っているか・いないかは、その明暗を分ける1つのバロメーターになると思います。

 

卒業、そしてそのままフリーランス

「フリーランスになるのは相当な決心があったんだろう..」

なんて思われがちなんですが、僕の場合、いや、僕に限らず、聞いてる限りだいたいのフリーランスの方が、わりとさらっと独立してる印象があります。

 

僕も例に漏れず、というか単純に学生時代からもう色々やってたので、貯金はゼロ(というか卒制で若干マイナス)でしたが、就活もしてなかったので、4月1日から自動的にフリーランスという肩書きになりました。

手続きとか何もしてません。ボーッと春休みを過ごしてたら肩書きが学生からフリーランスに変わった。

 

フリーランスに必要なのは覚悟”ではない”

僕の個人的な”勘”でしかないですが、

フリーになるのに「覚悟」とかが必要な人はたぶん、
むしろフリーが「向いてない」という1つの証拠なのかなぁなんて。

 

というのも、フリーになると、そんな覚悟なんかの数十倍の重圧が毎日のように重くのし掛かります

わかりやすくいえば、まだ他の選択肢がある状態で悩む「フリーになれるかなぁ」という不安より、フリーになった後、他の道が無い中で悩む「このままやっていけるかなぁ」という不安の方が、数十倍”重い”んです。

 

厳しいことを言うようですが、選択肢がある中で悩む人が、選択肢のない悩みを、毎日、24時間365日、抱えたまま過ごせるとは到底思えません。

 

つまり、ある種の鈍感さが必要なんです。

だから、開業届の提出とかはその鈍感さを試されてると言うか、「まぁいいや出しちゃえ〜」みたいな人が、結局うまくいく傾向があると思います。

 

実際、僕はこのあたりの手続きとか、仕事の取り方とかを、

「先輩に聞いてしっかり対策しよう」とか
「ネットで調べてしっかりスケジュール立てよう」とか

考えたことは一度もありません。

 

大抵、思いついたその瞬間に手が動いてます。

開業届とか、サイトのドメインとか、なんなら法人化も、思いついたその日にできるアクションを全て取ってしまう人間です。

 

まぁ、日常生活だと、勢いでホテルとったら、ポイントサイト経由するの忘れた、みたいなデメリットは多数ありますが…。笑

 

卒制も仕事につなげる意識で

僕は卒制も、最初から「仕事」を意識して作ってました。

4月の最初のゼミで、柴田先生

「イス作ってミラノサローネに出したいんです」って宣言しました。
(別にそんな語ることではないですが)

 

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結果、卒制のイスは良い感じに評価され、ムサビ全体の優秀作品展にも出品されます。

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そりゃそうだ、本来サローネ目指してたんだから。

実際、サローネには落ちちゃったんですが(というか応募方法がわかってなくて応募すらできてなかったかも)、

「サローネに出す!」って意識はかなり有効に働きました。

 

つまり、誤解を恐れずに言えば、

東大目指して勉強してたら、きっと他の大学の受験がちょっと簡単に感じるじゃないですか。

 

それと同じで、サローネ目指してたら、卒展とか屁でもない訳です。

なにせサローネの応募は8月なので、その時点でこのイスは大枠ができてました。(これ、卒制にしては早い方だと思います)

プレゼンとかも、他のみんなが緊張と寒さで声を震わせながらプレゼンする中、僕は平然とプレゼンできました。

 

卒業後の5月、卒制をインテリアライフスタイルに出展

サローネに落ちた後もめげずに色々と展示会を探していると、5月にビックサイトでインテリアライフスタイルがあることを知ります。たしか12月とかに発表されたのかな?

そこで、それを知ったすぐその瞬間に応募しました。
これも前述の「鈍感さ」の賜物です。笑

そして、その結果が卒展前に送られてきました。
「選考通過したので展示してください」と。

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なんかこの時点で、「これはムサビの優秀賞も獲れそうだな」なんて、冷めた感情を抱いていたことを思い出します。我ながらなんてヤツだ。。

しかし、その鈍感さがある事件を巻き起こします。

 

そう、予算が足りない!笑

インテリアライフスタイルといえば、わりとデカイ展示会で、

僕の出展した若手ブースも、若手と言いつつ、僕の隣では桑沢の先生が展示してたりと、なんか格が違った訳です。

 

いやぁこれはまずいと思い、人生初、クラウドファンディングに手を出します。

これも誰にも聞かず、自力で勢いでやりました。

宣伝も自分でプレスリリース出したり。。

 

そうやって、なんやかんやでなんとか展示に漕ぎ着けます。

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この展示もいろんな人に助けてもらいました。
たしかFacebookでお手伝い募ったのかな..?

まぁちなみに、この展示で得られた仕事は0ゼロです。

出展料など数十万だけが飛んで行きました。

 

3Dプリンターを購入

その後も無謀なことをやります。

ろくに仕事も無いのに3Dプリンターを購入。

といっても小さいヤツですが、プロダクトの仕事もないのに1台どーんと買っちゃう訳です。

 

でも別に3Dの仕事があるわけでは無いので、ほぼ自主制作の世界です。1円にもなりません。

フリーになってすぐはものすごくヒマなので、逆にこういうことでもしてないと落ち着かないんですね。

しかし、今3Dプリンターが使えるのはこの時の自分のおかげなわけで、

逆に言えば、今の冷静さを持っていたら、3Dプリンターを買おう!と言う発想にはならなかったと思います。今やiPhoneの方が高いのに。

 

今書いてて思いましたが、フリーなりたて最初の数ヶ月が一番行動力ありますね。

ヒマが駆り立てる「ヤバイ」って感情が何かを突き動かすんだと思います。
なんやかんや背水の陣なので。。

 

じゃあ最初の仕事らしい仕事はどうやって獲得したのかと言えば、

これは超幸運で、クラウドソーシングを見たとあるクライアントさんに声を掛けてもらいます。

遊びで作っていたポスターをネットに出してたら連絡をもらって、

印刷だけして放置していた名刺の封を開け、初めてジャケット(ユニクロ)を着て、
打ち合わせに向かいました。

最初はもちろん素人価格でやってたんですが、

毎度アホみたいな量のデザイン案や資料、模型を作り込んでプレゼンしているうちに(ヒマなのでそこまでする時間があるわけです)、

だんだんと信頼してもらえて、1年後、収入の支えと言っても過言では無い存在になりました。

なので、冒頭の2つ目の質問、「どうやって仕事を獲得したんですか?」は、僕には答えようがないんです。

なぜなら、コレを読んでる人に再現性がないから。

 

もちろん、「クラウドソーシングに実績をあげる」は再現性があるんですが、

それを見て声を掛けてくれたクライアントは世界に1人だし、

今と昔では競争率も違うし、

だから、僕は「どうやって仕事を獲得したんですか?」と言う質問には気安く回答しません。

人それぞれに出会いがあり、それは他者にはどうにも再現不可能な偶然なんです。

ストックホルムファニチャーフェア出展

ストックホルムファニチャーフェア

そして、大学を卒業して1年が経過しようという頃、ストックホルムファニチャーフェアに出展します。

 

すでに6月頃に「出そう」って決めて、夏頃に作品を作り、応募して、12月とかに結果きて、

やばいやばい言いながらクラファンして、みたいな感じ。

ビッグサイトの経験を踏まえつつ、海外に足を伸ばした感じですね。

 

ただ、やはりまだ全然成長してなくて、仕事の獲得はこちらもゼロでした。

撃沈

それが大学卒業からジャスト1年の3月ですよね。

正直、ビッグサイトはまだ卒業後2ヶ月の5月だったので、この時はかなり落ちました。

 

夢いっぱいで初の海外出展だったはずが、地獄のような落差に心がついていかず、3月、4月は死んでましたね。

普段テレビとか一切付けないんですが、その時は「何か世の中とつながっている感覚」が欲しくて、

PCでYoutubeを流しながら、テレビも同時に付けていました。

とにかく部屋を音で満たしたかった。沈黙が怖かった。

 

なのでイチローの引退会見とか、「令和」の発表とか、オンタイムで見てたのでめちゃくちゃ印象に残ってます。

そんな感じでフリーランス1年目を終えます。

 

  

追記:その後のコイツ

その後は、まぁ色々やりました。

・新たにSNSで集めたメンバーでデザインコンペで佳作を重ねたり
・それをギルドにしてUI/UX領域にも手を出したり
・宣伝会議賞でグランプリを獲ったり

ただ、それと同時に

・自分に「デザイナー」という人種をまとめ上げる力、根性が無いこと
・ChatGPT登場の影響、不景気の影響
・それによる、(負け惜しみにしか聞こえないかもだけど)業界全体のピリピリ感

などを痛感し、今はデザイン業・コピーライティング業からは手を引いています。

「ただ逃げてるだけだろ」と思う人は、それで結構です。ただ、それをSNSとかに書くのは普通に犯罪なのでやめてください(心に留めてください)。

 

そんなわけで、運のせいにしてるように見えるかもですが、それでも9割は自分のせいだと理解しているつもりです。

まぁ、もう僕が(この業界で)的に回ることは無いので、死んだものと思ってスルーしてください。